長友 優弥
フードテック・ディヴィジョン:2012年新卒入社
自分たちのつくった製品が、
いつか世界で活躍することを
夢見て。
小中高と野球少年。センターのポジションを守り、
毎日、遅くまで白球を追いかけていました。
大学では流体力学を学び、
自動車などの機械設計に漠然と興味をもつように。
と同時に、地元宮崎で働きたいという思いもあり、
九州限定の合同説明会に参加しました。
そこで、「自分たちの力で地域を元気にしたい」と
会社の将来を熱く語る島原社長と出会い、
入社を決めたのです。
入社後の最初の3年間は製造現場。
ここで、ものづくりの難しさも、
面白さも肌で感じました。
その経験が、設計部門に移った後も役立ちましたね。
どう設計したらつくりやすいか。
どの部分の工数を削減できるか。
現場のイメージがわくかどうかで仕事の質は
大きく変わってくると思います。
そして、入社5年目に現在の部署に異動し、当社の新規事業を担当することに。
正直、期待と不安が半々でした。
なにせ、会社としても新しく挑戦するものばかり。
もっと言うと、宮崎県と進めている鮮度保持技術は、世界でもまだ前例のない技術。その製品化に向けた毎日は試行錯誤の連続です。
次から次に出てくる課題。
みんなでアイデアを出し合って一つひとつ解決していく中で、心が折れそうになることもあります。
しかし、きっとこの製品ができたら、生産者が喜ぶ、食品加工の工場が喜ぶ、そして消費者が喜ぶと思うと「もう少しだけ粘ってみよう」とやる気も湧いてくるのです。
自分たちでつくり、育てたものが、
ここ宮崎県日向市から「Made by MFE HIMUKA」として、日本中、世界中に広がっていく。
5年後、10年後をいつも想像しながら仕事に打ち込んでいます。
海外視察に行く前と後では、
自分の視野が
圧倒的に広がった。
この部署に異動した直後、
島原社長と行ったアメリカ・シアトルへの海外視察は人生の大きな転機となりました。
約1週間の滞在でしたが、自分たちと同じくらいの若い世代の人たちが無農薬野菜を栽培して
直接販売し、
地元の人たちにとても喜ばれている姿を見たときは考えさせられるものがありましたね。
宮崎県の農業の現状と違う‥と。
さらに、彼らがこれからの
ビジネスのあり方や環境問題なども見据えて農業に取り組んでいる点も刺激を受けました。
どんなに美味しい野菜や果物を栽培しても、地域経済や時代に受け入れられなければ意味がない。
この視察に行く前と後では、自分が仕事と向き合う際の視野が圧倒的に広がったと思います。
また、この時の海外視察で学んだ経験も生かし、ドリームプラン・プレゼンテーション宮崎大会で
「未来のレストラン」というアイデアをプレゼンする機会ももらいました。
地域の様々なパートナーとつながりながら、
この場所で食も人もエネルギーも
循環する未来をつくる。
アイデア自体は、まだまだ粗いものですが、
ここには社内外の枠を超えて
「この地域を、こんな風にしたいよね」と
熱く語り合う仲間がいます。
現在、入社して8年目を迎えますが、
この7年間の会社の変化するスピードは
相当なものです。
しかも、これから、もっと加速するはず。
自分が変わり、会社が変わり、地域が変わる。
そして、いつか世界にも飛び出していける。
子供の頃に夢中だった野球にたとえると、
フルスイングした球が海外まで
飛んでいくといった感じです。