武士道
武士道の冒頭に、新渡戸稲造が武士道を執筆するきっかけになった、ベルギーの法学者との会話の事が記載されています。「日本の学校には、宗教教育がない? それでは、日本人は、いったい何をベースに子孫に道徳教育を授けるのですか?」と聞かれて、そのあたりまえの質問に即答できず、愕然とした、と書かれています。
日本の道徳教育はどうなってしまったのでしょうか?
最近の様々な事件は、行き過ぎた個人主義から来ているような気がします。また、戦前の日本が大事にしてきた、倫理道徳が失われてしまった事が原因ではないかと思います。 真善美や倫理道徳を追い求めるから人間は成長があるのではないでしょうか。
個人的に何を考えても、何をしても、それは個人の自由だから許される。 法律さえ犯さなければいい、という考え方が横行していては、人間的な成長も社会的発展もあり得ないと思います。
武士道の道徳観はいくつかの言葉で表されます。
「義」 人間としての正しい道、つまり正義を指すものであり、武士道でもっとも厳格な徳目である。
「勇」 義を貫くための勇気の事である。正しい事を実行する事である。勇気とは、恐れるべき事とそうでない事がわかる事だ、と古代ギリシャのプラトンは言った。
「仁」 人間といしての思いやり、他社への憐みの心の事である。女性的なやさしさ、母のような徳である。
「礼」 「仁」の精神を育て、他社の気持ちを尊重する事から生まれる謙虚さの事。礼儀作法とは、心で肉体をコントロールし、心を磨く目的のものである。
「誠」 文字通り言った事を成すことである。武士にとって嘘をつく事やごまかしは、臆病な行為とみなされた。
「名誉」「恥」は道徳意識の基本であり、武士道における「名誉」とは、人としての美学を追求するための基本の徳である。
「忠義」忠義とは強制ではなく、自発的なものである。武士たちはあくまで己の正義に値するものに対して忠義を誓った。個人・家族・そして広くは組織、国家の利害は一体のものである。
明治維新を作った人々の根底には武士道があったのではないかと思います。 今、幕末に匹敵するくらい、価値観や社会経済が大きく変わろうとしています。 私達も自分が依って立つしっかりとした考え方を持っておくべきだと思います。
以上
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