自分史(その19)、宇部興産時代
冬の遊びといえば、スキーですね。
入社当時は、山口県宇部市から、広島までスキーをしに行っていました。 多い時にはひと冬に13回くらい言っていましたから、ほぼ毎週末に近いペースだったと思います。
土曜日に仕事を終えた後、そのまま出発して、夜中にスキー場につきます。 少し仮眠をした後、朝から夕方まで滑って、夜運転をして帰ってきます。 天候が荒れたり、道が混雑したりした場合には、到着が朝方になる事もありましたが、元気に出勤をしていました。 仕事も遊びも精一杯、どちらも充実していた時期かもしれません。 休みが少なかっただけに、貴重な休みを精一杯楽しんでいたのかもしれません。
スキー場は、芸北国際、サイオト、ホワイトバレー、恐羅漢、などでした。 チェーンを付けて、中国自動車道をスキー場に向けて走りました。
当時は、スノーボードは無い時代でしたので、ボーゲンからパラレルまで、段階をおって練習をしていきました。
恐怖をこらえて、如何に前のめりに斜面に突っ込むかが楽しくて、できるだけ高い急斜面の場所まで登っていました。 技術はついていっていないので、斜面の途中でこぶに足を取られて、頭から雪に突っ込んだりする事も楽しく感じていました。
それから、スキー場は女性と行っても楽しいところです。 スキーウエアーに身を包むと別人のようです。 ゲレンデでは、なぜかみんなが輝いて見えます。 今思うと、寒い・危ない・不自由、なところに、何で好き好んで行ったんだろうか? と思います。
福島正伸さんが、よくおっしゃっています。 趣味はすべて、うまくいかないから面白いんだ。 釣りもゴルフも、わざわざ金をはらって、苦労をしている。 これがすべて思った通り、計算通りにいったら、だれもやらない。
スキー場に通ったおかげで、雪道の運転への恐怖心は無くなりました。
つづく・・・
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