自分史(その22)、エジプトその2
やっと、エジプトではデモがおさまりました。 でも暴動やクーデターでしか、政権が交代しないというのも、イメージが悪いですね。 敬虔なイスラム教信者や労働者クラスの方は、真面目な方が多いのに、残念です。
エジプトでは、カイロの南、マーディーという町で、フラット(アパート)を借りて、共同生活をしていました。 この町は、アメリカ人が開発をしたという土地柄で、閑静な住宅地という感じでした。 近くにはスポーツクラブもあり、テニスやプールもありました。
大体フラットは、お医者さんなどの地位の高い人が経営をしています。 私たちのフラットもMr.トッソンと言う方の持ちモノでした。 入口には、バーバーという門番のおじいさんがいつも座っていました。
運転手つきの車を契約していました。 運転手は、Mr.サイードと言いました。 プロの運転手です。 何もない時は、ゆったりと運転をしているのに、時間がない!というと、すっとばしてくれました。職務に忠実な運転手です。 日本食(もどき)のコックも雇っていました。名前はなんだったかな? 日本食っぽい食事を作ってくれました。 お米は、現地での調達で、あまり質の良いものではありませんでした。 石や虫の糞?みたいなものも交じっていて、コックが一つ一つより分けていました。
料理の得意な上司がいて(前掲の厳しい上司、田所さん)、時々、エビのてんぷらを作ってくれました。 この海老が最高だったのを覚えています。 揚げたてを塩で食べるのってこんなにおいしいの、って思いました。
休みの日には、車で北へ30分のカイロ町中までいっていました。いろいろなホテルの朝食バイキングを食べたり、日本食レストランの寿司(もどき?)を食べたりする事が楽しみの一つでした。 シャリがベチャットして、ネタは新鮮でなくても、雰囲気を楽しんでいたのかな?
また、2週間の休みを終えてもどってくる赴任者がいると、携行可能重量ぎりぎりの食料を運んで来てくれていました。 とっても楽しみにしていました。 その中でも定番が棒ラーメンです。休日の朝食に棒ラーメンを自分達で作って食べるのも、休みの風景になっていました。
今日はここまで、です。
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