みやざき『食と人の支援』連合チーム 炊き出しその2
みやざき『食と人の支援』連合チームにて、仙台に来ています。
現地に来て、被災の現場を見、現地の方々の話を聴いて、本当に良かったと思います。 現地の方々のご苦労やボランティアスタッフの献身的な働きぶりをみる事ができましたし、災害復旧の現場をみて、その問題の多さを実感し、さまざまな事を考えさせられました。 そして、普及に向けての息の長い支援の必要性を感じました。
昨日は、ボランティアリーダーの指示により、宮城の2カ所の避難所を回り、それから、岩手の高田ドライビングスクールに行ってきました。
まずは、仙台を9時に出て、志津川に向かいました。 南三陸町の志津川あるベイサイドアリーナに行く途中に南三陸町の町を通りましたが、報道であるとおりに、コンクリートや鉄骨の建屋の骨組みが残るだけ、あたり一面がれきの山で、津波の恐ろしさを目の当たりにしました。 自衛隊の働きによって、国道45号線は、う回路も含めるとなんとか車で行き来できるようになっていて、物資の配達もかなり行きとどくようになってきているようでした。 津波直後の状況からこの状態まで復旧するまでが如何に大変だったのかと想像されました。 これから、瓦礫の撤去と復興のための建設の事を思うと、かなりの時間の必要性と困難さが予想されます。
ベイサイドアリーナでは、ボランティアリーダーとお会いしました。 大きなテントの中で、情報の収集や指示に当たっていました。 ベイサイドアリーナの中には、多くの物資が積まれ、全ての通路には避難中の方々が、ダンボールで仕切りを作り、布団や毛布を持ち込み、生活をしていました。 プライベートもなく、将来の不安を抱えながらの避難所での長期にわたる生活が如何に大変なものか、感じ取れました。
リーダーの指示で、2カ所の避難所(名足保育園と石浜集会所)を訪問しました。 南三陸町歌津の保育園と集会所でした。 保育園では70名、集会所では30名が生活をしているとの事でした。 すでに水道やガスは行き届き、野菜や果物などの食料品も含めた物資の供給はされているようで、冷凍をしてきている地鶏の湯煎は、自分達でできるとの事で、炊き出しをせず、配達だけをして失礼をしました。
その後、13時30分頃、志津川を出て、陸前高田に向かいました。 陸前高田には、八木澤商店の河野社長さんがいらっしゃるので、無事なご様子を確認したいと思ってのことでした。 15時に、高田ドライビングスクールに到着しました。 途中陸前高田の山側を通りましたが、こちらの被害もひどく、かなり内陸まで津波の影響が及んでいる事がわかりました。 高田ドライビングスクールに到着すると、田村社長さんがいらっしゃって、ご挨拶をする事ができました。 役所や社協の多くの方が亡くなり、公共機関が機能しなくなっている中、スクールが避難所やボランティアセンターとして、果たしてきた役割や、同友会企業が雇用を守るために、奮闘をしている様子をお聞きしました。 会社や工場をすべてなくし、経営者同士が励まし合い、復興・再生を目指して頑張っていらっしゃる姿に、こちらが勇気づけられました。
田村社長さんとお話をしていると、多くの経営者の方々が声を掛けてこられます。 いかにこのスクールが復興の要となり多くの方々と連携してきたかが、良くわかりました。
そして、八木澤商店の河野会長と再会を果たす事ができました。 昨年、みやざき経営フォーラムの報告に日向まで足を運んで頂いて以来ですから、無事だったことは、同友会からの情報でわかっていましたが、その元気な姿を拝見し、涙があふれました。 再開できた事が、うれしくて、うれしくて、とにかく無事でよかった。
息子さんや奥さんとともに、言葉を交わす田村社長や、息子さんに経営を譲り、息子さんの奮闘ぶりを嬉しそうにお話しされる河野会長の姿を見て、復興にむけて動き出している経営者の力強さを感じました。
とても短い時間でしたが、本当に様々な事を感じ、学んだ3日でした。 また、必ずこの地を訪れたいと思います。 本日、一足先に宮崎に帰ります。
以上です。
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