自分史(その31)
宇部興産時代の記憶としては、海外出張の時のものが印象に強く残っています。
エジプトの後も、ベトナムに1年、インドネシアに6ヶ月行きました。
どちらも、建設工事から試運転・引き渡しまで、特にベトナムでは、みんなが引き揚げてしまってからも滞在をしていました。
ベトナムの時は、石炭専焼のセメントプラントの建設でした。 台湾資本のプラントで、オーナー側から来ていた現地のスタッフの方々にも大変良くしてもらいました。 特に工場長のチュンさんは、何かと気を使ってくれる方でした。 台湾の方とは、筆談ができます。 彼らは、日本と共通する漢字をたくさん使うので、漢字を通してとても楽しく会話ができます。 また、日本人と価値観が共通する部分が多く、一緒に仕事をしていても、お互いの言う事が良く理解できていたと思います。
現場は、北ベトナムのハノイから海沿いに100kmほど向かった町ハイフォンからさらに北に移動したミンドックという村にありました。 ハイフォンから現地まで行く時には、川を渡る船に乗らなければいけませんでした。 ベトナム戦争からの後遺症かあまり川に橋がかけられてはいませんし、道路の舗装も整備されていませんでしたので、とっても長い道のりに感じました。
ベトナムの方々は、日本人と気質が似ていると言われます。 また、農耕民族としての生活様式も似ているのかもしれません。 以前は日本の昭和30年代の生活に似ていると言われていました。 いつかまた、海外で仕事をする時が来たらベトナムがいいなと思っています。
私は、原料ミルセクションの担当でした。 原料ミルの立ち上げから試運転、運転指導を行いました。 原料を受け入れるところから粉砕して、原料サイロに保存するところまでが担当です。 また、海外のプラントでは、非常に停電が多く、ディーゼル発電機と、熱ガス発生炉、純水装置なども担当しました。
これからまた少し、ベトナムでの話が続きます。
今日は、これまで
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