坂の上の雲 平成23年2月度レポート
次世代リーダー育成塾 “こころざし”の平成23年2月度レポートです。
1.失敗に学ぶ
坂の上の雲の中には、日露戦争におけるロシア軍の失敗、日露戦争の勝利の後の日本軍の失敗について、明確に描かれている。
「 敵よりも大いなる兵力を集結して、敵を圧倒撃滅すると言うのは、古今東西を通じ常勝将軍といわれる者が確立し実行してきた鉄則であった。
日本の織田信長も、若いころの桶狭間の奇襲の場合は例外とし、その後はすべて右の方法である。信長の凄味はそういうことであろう。あれの生涯における最初のスタートを「寡を持って衆を制する」式の奇襲戦法で切ったくせに、その後一度も自分のその成功を自己模倣しなかったことである。桶狭間奇襲は、百に一つの成功例であるということを、たれよりも実践者の信長自身が知っていたところに、信長という男の偉大さがあった。
が、その後の日本陸軍の歴代首脳が如何に無能であったかという事は、日露戦争という全体が「桶狭間」的宿命にあった戦いで勝利を得たということを先例としてしまったことである。 」
手練手管や戦術面での奇策ではなく、敵に倍する兵力と火力を予定戦場に集めるという、仕組みや段取り、本部のロジスティック体制の重要性を現している。実際の戦が始まる前に勝敗のきまっているのが勝ちを制するゆえんであろう、その後におこなわれる先頭というのは、単にその結果に過ぎない、との記述もあった。
ロシア軍の日本軍の差は、指揮官の資質にもあったが、彼我の状況を正確に把握できていたかどうかで、大きく戦況が変わっている。 ロシア軍は、自ら負けたともいえる。
桜井章一さんの“負けない技術”という本の中に、次のような文章がある。
「 負けの99%は自滅、しかるべきタイミングでしかるべき事をやらないで、不必要な事ばかりをしてしまう、事による 」
2.弱者の兵法
経済的な分野でも、物量と価格差で相手を圧倒するというのが、無制限な条件の中で不特定多数の相手と戦って勝つための方法ではあるが、限定された環境下や地域戦での戦いは、変わってくる。ランチェスターの法則でいわれる弱者のとるべき戦略は差別化戦略で、敵より性能のよい武器を持ち、狭い戦場で、一対一で戦い、接近戦を行い、力を一点に集中させることである。わたしたちは、どのフィールドで、どういう戦い方をするのかを明確に意識する必要がある。中小企業のとるべき戦略がここにあると思う。
3.武士道精神
「 前のみを見つめながらあるく、のぼってゆく坂の上の青い天のもし、一来の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう。」という文章に、明治人の気概が感じられる。と同時に、江戸時代からつづく、武士道精神を感じる。国家の命運を担う事が、個人の人生目標と一致していた時代であったのかもしれない。国や公に対して、自分がどう関わるかということをしっかり考えていた事が、当時の美意識や生き様につながっていたのだと思う。現代では日本人として国や民族を誇り、尊ぶ気持ちが薄れてきている事が残念だ。「最後の野武士」といわれた秋山好古の生き方に共感を覚える。
4.リーダーの資質
現代の日本では、リーダー教育が欠けていると思う。薩摩の郷中教育などがその模範例だと思うが、江戸時代には、藩校が各地にあり、次の世を支える人材を自分達でしっかりと育てるという気概があったと言われる。西郷隆盛、従道、大山巌、東郷平八郎などもこの薩摩藩の教育から生まれた。 特に特徴的なのは、“ウドサァ”と呼ばれるリーダー像である。
「 自分の実務を一切任せるすぐれた実務家をさがす。その人物のやりいいように広い場をつくってやり、なにもかもまかせきってしまう。ただ場を作る戦略だけを担当し、もし実務家が失敗すればさっさと腹を切るという覚悟をきめこむ 」
知力・体力と共に、心を育てる教育が、今一番必要とされていると思う。
全ての基盤は人です。 もう一度、我が国の教育を考え直すべき時ではないかと常々考えています。
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