東日本大震災復興チャリティー講演会
先週末は、チャリティー講演会に参加しました。
福岡で原田隆史さんと香葉村真由美先生の講演会があるという事を知り、諫早で新しい事業の打合せを行うのに合わせて、福岡に立ち寄り講演会に参加しました。
福岡大学で、香葉村真由美先生と原田隆史先生の講演家、弓削田健介さんのコンサートが行われました。 それぞれとっても素晴らしいお話で、心に残るお話でした。
たまたま(?)、昨日の致知のメールマガジンに香葉村先生のお話が掲載されていましたので、全文を転載したいと思います。
香葉村真由美(福岡市小学校教諭)
『致知』2011年5月号「致知随想」 ※肩書きは『致知』掲載当時のものです
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私が小学校教師になって初めて受け持ったサヤカ。
彼女はクラスのリーダー的存在で、卒業後も年に何度か会っていました。
ある日、二十三歳のサヤカは、久々に私に会いに来てくれました。
しかし、驚いたことにとても瘠せていて、
手首にはリストカットの痕があるのです。
聞いてみると、彼女の周りで辛い出来事が相次ぎ、
それを自分の責任と思って苦しんでいる様子でした。
「なんてことをしたの」
私の一言にサヤカは一瞬ハッとした表情を浮かべました。
きっと痛いほど自分で理由が分かっていたのでしょう。
そのサヤカに私は言葉を続けました。
「サヤカ、命は一つしかないんだよ。
大切な一つなんだよ。頑張るんだよ。頑張らなきゃ」
「分かっているよ、先生。私、分かっている。頑張るよ」
そして別れ際、私はもう一度、言いました。
「サヤカ、頑張るんだよ」
数か月後、私の元に悲しい報せが届きました。
サヤカが大量の薬を服用して自らの命を絶ったというのです。
サヤカが最後に会った大人が私だったと聞いた時は
頭をハンマーで殴られたようでした。
彼女はきっと、自分を受け入れてもらいたくて
私に会いに来たに違いありません。
「よく頑張ってきたね」と、
ただただ黙って抱きしめてほしかったはずです。
にもかかわらず、私は
「頑張ろう」「命は一つしかない」という
教科書どおりの言葉を使っていたのです。
サヤカの死以来、
「自分は何を子供たちに話してきたのだろう」
「一人の子供が救えなくて、多くの子が救えるわけがない」
と自分を責めて責め続けました。
教師としてだけでなく人間として自信を失いかけていました。
どん底の私を救ってくれたのが
『107+1~天国はつくるもの~』(てんつくマン監督)
という一本の映画でした。
描かれていたのは夢を追い求めて力強く生きる人たちの姿。
私は途中で涙が止まらなくなりました。
「もう一度夢を追いかけて生きてみたい」
という思いが湧き上がってきたのです。
映画の舞台となった小豆島には、
てんつくマンを中心に人々がともに学び合う場が
実際にあると知った私は、休みをとって約二週間、
そこで生活しました。
雄大な自然と仲間の笑顔に包まれながら
一緒に夢を語り合う中で心が癒やされ、
人間の素晴らしさは肩書など目に見えるものでなく、
その人の人間力だと気づかされるようになりました。
私が六年三組の担任になったのは
小豆島から帰って間もなくのことです。
私はそれまで誰にも話さなかった
サヤカのことを初めてクラスのみんなに話し、
「先生は二度と子供たちに
サヤカのような思いをさせたくない」
と訴えました。そして、何があっても
目の前の子供たちを信じ続けよう、愛し抜こう、
卒業式では三十二人全員をこの教室から
笑顔で卒業させようと堅く誓ったのです。
この年、受け持った一人にシュウがいます。
シュウは一年生から四年生まで辛いいじめに遭い、
五年生になると急に攻撃的になりました。
クラスメイトを叩く、殴る、暴言を浴びせかける……。
その行為は次第にエスカレートしていきました。
六年生になったシュウのイライラが募り始めたのは五月、
体育会の練習が始まった頃からでした。
リレーで抜かれるだけで怒って砂を投げたりするのです。
みんなは「シュウを何とかしてください」と訴えます。
私も何度も話したり、怒ったり、褒めたり、
考えられる限りのあらゆる手を尽くしましたが駄目でした。
逆に蹴られ、唾や砂をかけて反抗されるばかりでした。
自宅に帰り、洋服の砂を払い落としながら、
それまで抑えていた涙が溢れました。
悔しくて、情けなくて大声で泣いた日のことをいまも覚えています。
その次の日、シュウは学校を休んでいました。
私はみんなに「ごめんなさい」と謝りました。
「先生はシュウもこの教室から
卒業させてあげたかったけど、
先生一人ではどうすることもできない。
でも、先生は諦めきれない。
人を信じること、人を好きになることを、
どうかみんなでシュウに教えてあげてほしい。
そのかわり先生はみんなを全力で守るから……」
私のその声にみんなは
「先生やろう。シュウがいたから
こんないいクラスになったと言えるように、一緒に頑張ろうよ」
と答えてくれました。
子供たちは大きく変わりました。
皆がシュウの行動を受け入れてくれるようになったのです。
叩かれてもジッと我慢し、叩こうとするシュウに
「怒っているんだね。でも人を叩いたらいかん」
と毅然と言い放つ子も出てきました。
その姿を見て私も命を懸けて
シュウにぶつかることを決意したのです。
ある時、シュウは私に、なぜ自分が
こんな態度をするようになったか分かるか、
と質問してきたことがあります。
「分からない。何があったの」
沈黙の後、彼は言いました。
「俺は、俺は、ただ友達が欲しかっただけなんだ!」
そう言うと爪で床を引っ掻き大声で泣き始めたのです。
私はそんなシュウが愛おしくて、
いつまでもジッと抱きしめていました。
シュウが笑顔を見せ、みんなに心を開くようになったのは、
それからです。
私はどんな子にも素晴らしい可能性があることを
知っています。教師に大切なのは、
可能性をどこまで信じ切れるかです。
信じ切っていれば子供たちは絶対に裏切ることはないのです。
それはサヤカが命を懸けて教えてくれたことでした。
だから私は亡くなったサヤカの分まで
人生を生きようと思っています。
香葉村先生の魂のこもった講演を聞き、“自分は命と向き合っているのか?” 自問自答しました。 自分の生き方を改めて考えさせられる講演でした。
以上です。
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