自分史(その6)、日知屋小学校時代
小学校からの友達に“鮫”がいます。小学校の頃から、大の親友であり、ライバルであり、いつも意識している友達です。小学校の頃からすこし、周りと違っていて、大人びていた“鮫”、いつも面白そうなネタを持っていました。あの頃仲間内ではやっていた事の仕掛け人だったような気がします。今でも彼が当時の事を良く覚えているのは、自分から仕掛けていたからではないかと思っています。
彼には、2人のお兄さんがいます。男3人兄弟の3番目、興味の幅が広かったのは、彼の育った環境もあったのかもしれません。学級新聞の編集をしたり、自作のキャラクターをはやらせたり、独自の発想力も持っていました。当時、欧米人は、洋式トイレに座って、どうやって、小の方をするのか知ってるか?なんて事をいう、変な奴でしたが、一緒にいるととても面白く、ずっと一緒に行動をしていた記憶があります。
どちらかというと内気でおとなしく自分に、いろいろな事を教えてくれて、世界をひろげてくれたのは、彼でした。発想力豊かで、行動力があり、しっかり自分を持っている彼は、今でもいいライバルであり、親友です。
小学校で塾に通い始めたのも、宮崎の日向学院に行く事になったのも、大学に入って少林寺拳法を始めたのも、彼の影響だと思います。小学校の頃の自分は、彼ぬきでは語れません。非常に濃密な付き合いの小学校時代でした。小学校を卒業してからは、あまり交流もなく、20年ほどが経ちました。私が日向市に戻ってくる事になった12年前から、また交流が始まりました。いまだにしっかりと空手をやっている彼、しかも、指導者となっていました。早速、当時幼稚園児だった、子供を預けました。そして、家族ぐるみの付き合いが始まっています。
そんな彼と、いつかは嵩山少林寺に行こうという話をしています。私に様々な中国拳法の話をして、拳法への道を開いたのは彼ですから、その総本山に行くしかないっしょ!
以上
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