自分史(その9)、日向学院高校時代
当時、日向高校ができたばかりで、日向高校へ行きたいという気持ちがありました。会社は創業してまだ8年目で、経営的にも厳しい時期だったと思います。
担任の先生に相談をしたところ、奨学金も受けられるし、学院高校へ行った方がいい、と強く勧められ、それならと学院に行く事にしました。高校生での担任の先生は、大坪先生でした。化学の先生で、空手の顧問もしている規律正しい先生でした。教室で足刀をして見せたり、居眠りをしている人がいると黒板を正拳でついてみたり、すこしこわもて(?)でした。
高校時代も寮生活を送りました。高校3年生の時には篤寮に入らせて頂きました。木造2階建ての寮でした。学校まで道を隔てて歩いて1分という最高の環境でした。ただ、隙間風が入り、黄砂の降る時などは、机の上にうっすらと砂が積もるような寮でした。そんな環境がなんとなく、楽しくもありました。
一番の思い出は、運動会です。棒倒しや騎馬戦など、迫力ありました。ちなみに日向学院の棒倒しは映画になった事があります。また、なぜか仮装行列もありました。遊び心があったんでしょうね。 当時は、女子高との交流もあり、フォークダンスには、女子高の生徒が参加していました。女子高生との交流はどうしていいかわからず、ドキドキでしたね。
貴重な青春時代はそうして過ぎて行きました。
高校生時代は、本を読むのが好きで、よく寿屋の書籍コーナーへ出かけて行きました。本を買うといえば、小遣いをもらえたのもあったからだと思います。いまだに本屋にいって時間を使うの好きです。現在は、手軽にアマゾンで買う事が多くなりましたが、あてもなくすべての書棚を見て歩きながら、面白そうな本を探して歩くのもとっても幸せな時間です。
高校では、国立理系を志望しましたが、どちらかというと英語や国語が得意でした。父の仕事の関係もあって、無意識のうちに技術系や理系を目指さなくてはいけないと思いこんでいたのかもしれません。後を継げと直接親父からいわれた事はありませんでしたが、両親やの期待や周囲の目もありました。 何かにつけ、長男として、親の期待にこたえなければいけないという気持ちは、子供のころから自然と持っていたようです。
ただ、一方で、自分の人生それでいいのか? 親の敷いたレールの上を走ればいいのか?という事はいつも考え、悩んでいました。かといって、大きく反発する事もなく、ぐれる事もなく、また、それが自分のなかで、大きな悩みともなり、加藤諦三さんの本などを読んでいたのもこの時期だったと思います。
続く・・・ 以上
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