ご冥福をお祈りします。
一昨日、昨日は、お客様のお通夜と告別式でした。63歳の生涯でした。
お客様の工場長をされていた方で、設計から現場管理まで様々な経験と知識を持った方でした。我が社も色々な面でお世話になり、様々なご指導を頂きました。
強い個性とけん引力を持った方で、あらゆる面でエネルギッシュでした。数年前に特需があった、非常に忙しかった時期に、ほぼ徹夜に近い状態で仕事を続け、年間何十件ものプラントを成功に導かれたとも聞きます。
今は少なくなった豪傑の1人だと思います。
昨年出張先で心不全のために倒れられてから、ガンや心臓病や院内感染等の克服のため、闘病生活を続けていらっしゃったようです。俺みたいにならないと煙草をやめられないんだよな、といいながらも面談室でご自身の病気の事について話をされ、とっても元気なお姿を見せていましたので、かならず復帰されると思っていました。突然の訃報でした。
我が社にも何度か足を運んで頂き、地元の居酒屋酒蔵で、おいしそうに“森以蔵”や“あくがれ14°”を飲んでいたのを思いだします。そういう時もご自身の体験からいろいろなアドバイスを頂きました。特に人材育成の大切さはいつも強調されていました。
「 上司が覚悟をして大きな仕事を任せないと、人を育てることはできない。一億円を捨てるくらいの気持ちで挑戦をさせないと人は本気で学ばない。」、といっていました。とってもかっこいい方でした。色々な修羅場をくぐり抜けてきたから、腹が据わっていたのでしょう。
まだまだ、色々な事をお話したい方でした。残念でなりません。人の死に直面すると、日頃考えていない様々な事を考えさせられます。自らの死に様を考えます。如何に生きたらいいのかを考えます。こんな生き方をしていていいのだろうか?と考えさせられます。
「 親は、自分にとって一番のタイミングでメッセージを残して亡くなる。」と、中村文昭さんが講演会の中でいっていました。それは、何だったのだろう? 2年前の平成20年10月20日に父が亡くなってから、考えています。
父は、会社の経営の事も含めて、手取り足とり教える方ではありませんでした。すべての事は自分で考えて、自分で切り開け、というタイプでした。 痛み止めですこし錯乱していた事もありますが、亡くなる間際も言葉でのアドバイスはありませんでした。しかし、あのタイミングで亡くなったのは、何か意味があったのだろうと思っています。
死に様や生き様を次の代にしっかり残せる生き方をしたい、と思います。
今日は、日向共栄会の研修に参加します。昨日東京から移動して、門司に入ったのが22時を過ぎていましたので、今日からの合流です。
以上
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